夕張ゼリーのゆくえ
大学の先生が北海道に行ったついでに、大槌を訪ねてくれた。お土産に高くて、美味しそうな、濃い橙色の夕張メロンゼリーをくれた。
普段だったら、今までの私だったら、夕方のおやつ、ご飯の後、お風呂上がり、次の日のご飯の後、お風呂上がり。と、いろんな場面で1人で、独り占めをして、いくつかあった橙色のゼリーを食べただろう。
1つ食べた時に、そのゼリーの美味しさにすごく驚いた。その時に「このゼリー何回か食べれる!」でなくて「ゼリー食べてほしいな」と思った。
だから、先週電話をしていて、「食欲があんまりない」と言っていた、おばあちゃんの家に持っていくことにした。今日は仕事中も、おばあちゃん喜ぶかな。と色々考えた。
そのおばあちゃんとは、もう7年ぐらいのお付き合いで、ご飯を作ってくれたり、お風呂を貸してくれたりする。学生の頃は就活や休学中など、大槌に行けないときも、電話をしたり、手紙を書いた。よく喋る人で、うちも話すのは好きだけど、本当によく喋る人なので、いつも私が聞き役になる。時々、私を褒めてくれる。
「食欲ないって言ってたから、これ、すごく美味しかったから、食べるかなあと思って」とゼリーを持っていくと、生田さんが動物から人間に進化した!みたいに「ばー!」と、びっくりしてくれた。
で、また最近の土砂災害の話から、親戚の近況、最近食べたもの、体が痛いこと、生田さんに良い人がいるか、生田さんはちゃんと働いているか、生田さんは人に迷惑をかけてないか、など、おしゃべりをした。
ゼリーは持っていったけど、食べなかった。
だから、また食べてね。って置いてきた。
口は元気だったけど食欲ないの大丈夫かな。
帰りに、お湯でふやかして食べる「湯団子」と、「夏タコとキュウリの和え物」を持ってけ!ともらった。私は知っている。これは美味しいやつだ。
この「湯団子」は特にとても美味しいので、
2つあったうちの1つを、マンションの人にあげた。びっくりしてたけど、食べてくれるかな...
そういえば、日頃から「分けてもらう」生活の中にいたら、知らない間に、私も美味しいものを、いただいたら、自分もちょっと食べて、誰かにあげたくなるようになったことに気がついた。
もしかしたら、あのすごく美味しいゼリーも、
おばあちゃんは誰かに、あげちゃうかもしれない。私はおばあちゃんにゼリーを食べてほしくて持っていったけれど、でも、それでまたどこかで関係性が紡がれるなら、それでも良いか。とも思う。
今までだったら、美味しいゼリーは、自分だけで食べた。でも今は食べてもらいたい人がいて、それは幸せなことだと思う。いろんな人が私に食べ物だったり、他のものをくれる。それも幸せなことだと思う。
おばあちゃんの家から出て、近所のスーパーに行ったら、おばあちゃんの親戚にばったりあった。「生田さんのこと聞いてるよ。うちのばあちゃんのこと、いつもありがとう」と言われた。
すごく、すごく、私は何もしてないけれど、
今ここに存在出来ていて、幸せだなあと思った。
夕張ゼリーをくれた、先生ありがとう!
美味しくいただきました。