ありがとうを他の人に伝えること 岩手県大槌町での出会いから

3日間、岩手県大槌町吉里吉里地区に行ってきました。大学1〜3年の頃は震災支援ボランティアで毎月通った場所。2年半ぶりでした。

盛り土が始まり、新しい道、復興住宅が出来ました。町の様子は変わりました。

私が吉里吉里行くと毎回、ごはんを作ってくれて、電話、お手紙のやり取りを続けているおばあちゃんがいます。2年半ぶりに出会っても、相変わらずにキレッキレの頭で沢山話してくれました。

このおばあちゃんとの出会いは、2011年7月。 昨日のことのように思い出します。自分で参加したくて参加したボランティアなのに、疲れて、目の前の現実が精神的にもつらかった。大学生ボランティアとして、にこにこするのも、だんだん疲れてきた。でも、被災された人を、ガレキを目の前にそんなこと言えなかった。もう次からは来るのは難しいな。って弱気になった。そんな疲れて汗ダラダラの私を前に、「お茶っこさ、飲んでけ!」って言ってくれた時、「いや、でも仮設住宅とか、私なんかがのこのこ入っちゃだめなところ」って躊躇した。でも、おばあちゃんには、私のことは、たぶん、ボランティア云々の前に、「孫ぐらいの学生」としか映ってなかったと思う。

半強制的に私を仮設住宅に入れて、冷やしたおしぼりや、お漬物を出してくれた。震災の話、避難所生活、吉里吉里の豊かな森と海の恵み、美味しい食べ物の話。初めて来た吉里吉里は「被災地」のイメージしかなかった。そこにおばあちゃんとの話で、私が知らなかった吉里吉里に、沢山の色がついた。

初対面の私は困惑した。
「なんで親切にしてくれるんですか?」
って聞いた時に返ってきたのは、
「私には関東に孫がいっから」

自分の孫が自分の知らない土地で誰かに世話をされたり、迷惑をかけたりしている。その人に直接、「ありがとう」は言えないから、自分が出会った人に、「ありがとう」の心で接する。人はどこかで繋がるかもしれないから。

この言葉を聞いて思ったのは、「人に優しくしろ」だけではない。「人に迷惑をかけることもある。でも、その分、誰かに親切にしろ」ってこと。これなら、自分自身も出来ると思った。私はすごく抜けていて、頑固なこともあって、迷惑をかけることも沢山ある。でも、だからこそ、目の前にいる人には誠実でありたいな、っ気持ちを淳子さんの写真を見るたびに、定期的に今でも思い出すようにしてる。(前の彼氏に振られた反省も踏まえて)今目の前にいる人に正直でありたいなあ、って。「ありがとう」「ごめんなさい」は、もしかすると本人には伝えられないかもしれない。なら、今目の前にいる人に、私の身の丈で、出来ること、すべきことをしたい。おばあちゃんに会ってからは、いらいらすることもちょっと我慢出来るようになったし、人に親切にしたい、って思えるようになった。

でも、私とおばあちゃんの「ありがとう」返しには大きな違いがある。おばあちゃんは、自分の娘や孫、大切な人が受けた「ありがとう」を想像して、大切な人のために、目の前の人に「ありがとう」を返す。私には、そんなに大切に思える人はまだいない。いつかそんな風に思える人が沢山出来たらいいなあ。って今は思う。

前は毎月のように会っていたのに、2年ぶりに再会した今日。机の上には、お酒につけた柿、干してあぶったイカ、きゅうりの浅漬け、魚のつみれ汁。1つ1つの食べ物に誰かが育てて、淳子さんが手を加えたストーリーがあって、それを聞いて、お互いの近況報告をしたら、あっという間に3時間が経つ。淳子さんの手料理を通して知った吉里吉里の歴史や文化が沢山ある。料理は、めっちゃくちゃな高級料理ではない。でも、とっても美味しい。こんな美味しいものを私も将来作りたい。自分の身の丈で、いまあるものに工夫をした方法で、美味しいものを作りたい。あんなに沢山のお話しが出来るおばあちゃんになりたい。

最後、別れる時に、一言、

「あんたのいいとこは素直なところだから。大丈夫だから春からも頑張りなさい」

すっごく嬉しかった。
淳子さんに学んだことは忘れないし、うちにもいいとこがあるって言ってくれた。
春から、というか、今からがんばろう。

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