イギリス ケンブリッジで生活してみた!の記録🇬🇧

夫の海外留学に伴い、2023年7月末よりイギリスケンブリッジに越してきました。日々のあれこれを記録します。

【ヒトラーのわすれもの】

2017年初映画は「ヒトラーの忘れもの」

名古屋に遊びに来た同期と映画を見た。

映画館は伏見ミリオン座にて。 

【伏見ミリオン座】

http://www.eigaya.com

 

【以下あらすじ】

ーーー第二次世界大戦後のデンマークで、ナチス・ドイツが埋めた地雷の数は200万個以上。そして除去作業にあてられたのは、大半が15歳から18歳のドイツ人少年兵だった。彼らが強制的に背負わされた母国の罪。デンマーク国内でも知られることのなかった残酷な史実を題材に、戦争の矛盾に満ちた現実を浮き彫りするーーー

 

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すごく胸が痛い映画だった。自分の国が埋めた地雷で仲間が吹き飛んで死んで行く。「ナチスの罪を忘れるな」とデンマーク人からは言われ、地雷撤去要員としか扱われない。デンマークの軍曹も、自分の息子ぐらいの少年兵に対して、気持ちが揺らいで葛藤する。ナチスの罪は絶対消えない。少年たちは元ドイツ軍。デンマークから見て憎いのは当たり前。

 

でも、映画見てて、ずっと、「10代のこの子達がなんで」「ドイツの行為も、地雷埋めたのも、いろんな決定を下したのも、この子らじゃないのに」「もしも少年兵とデンマークの軍曹が違う形で出会っていたら良かったのに」と思ってしまう。その時思い出したのは、大学の授業で聞いた、「戦争とは、個人を個人として、人格のある個人とは見れなくなること」っていう言葉。

 

全員が同じと見られる。一部が下した決定は、全員のものになる。その少年兵1人の人生に何があったとしても、どんな思いがあったとしても、考慮されないし、ナチスであり、ドイツ兵としか見られない。そんな悲しいことって、理不尽なことってないなと思う。少年兵1人1人にナチスの罪を償わせることはおかしいんじゃないか。ってデンマーク人軍曹も分かってる。でも責任の所在なんてどこにあるかわからない。戦争は誰も赦してくれない。

 

だから、やっぱり、国の代表を選ぶ時は慎重にならないといけないと思った。これは今の日本もそうだし、私が心に留めないといけないこと。

 

ずっしり、ずっしりくる映画だった。人と人との間でどうしても生まれるあたたかい気持ちと葛藤。でも全てを飲み込む理不尽さ。すごく見て良かった映画だった。

 

そして1人映画も良いけれど、

感想を言い合えるのはいいなあ。と思う。

 

http://hitler-wasuremono.jp

ちりんちりんと、紅葉と、宅急便のお兄さん。

最近心に残ったこと。

ちりんちりんと、紅葉と、宅配便のお兄さん。

ーーーーーーー

「ちりんちりん」
会社終わると、自転車で名古屋をさーっ!と
徘徊するんだけど、小さい道を止まってたら、
うちの後ろにいた自転車の人が、歩いてる人に
「ちりん、ちりん」って鳴らした。

名古屋で「ちりん、ちりん」を初めて聞いた。
歩いてた人は、うちの顔を「ぎょっ」と見た。
「ちりんちりん」を鳴らした人は、
涼しい顔で「さーっ」と通り過ぎた。

 ねえ、「ちりんちりん」鳴らしたの
うちじゃないよー!、、、。

と言いたかったけど言えなかった。

ーーーーーーー
「紅葉」

紅葉が綺麗だなあ。と運転しながら外を見た。
お客さんに「紅葉きれいですね」って言ったら
「下見て歩いてたからわかんなかったよ」
と言われた。だから「一緒に上見ましょ!」って言ったら、笑ってた。

大学生の時、大学いても、合宿行っても、デモ行っても、よくぼけぼけーっと葉っぱ見てた。

紅葉見るの好きだったのに、今年はちゃんと見てないな。ぼけぼけー。とする時間を取ろうと思った。だから、道に落ちてる葉っぱをゆっくりゆっくり色を見ながら拾った。

スーツで葉っぱを拾ってたら変な目で見られた。葉っぱを拾いながら、

「好きになった人と出会ったのは紅葉が綺麗な季節だったなあ。」と思ったら、

今も秋なのに秋がすっごく懐かしくなった。

ーーーーーーー
「宅急便のお兄さん」

会社には運送会社の人が出入りしていて、
夕方になると、荷物を取りに来てくれる。
荷物置き場にはメーカーさんから仕入れた品物や、沢山の封筒と荷物がある。

荷物置き場はうちのデスクの後ろ。

 お兄さんは毎日5時ぐらいに来るけど、
目の端に入るぐらいで、忙しかったり、
パソコン見てるから、

なんとなく「ありがとうございます」と言う。毎日そんな感じ。だけど、今回は違った。

お客さんに絶対に明日までに届けて欲しいと
言われていた小さい封筒があった。
それをうちはいつもの定位置に置いて置いた。
いつものようにお兄さんが来て荷物を運んだ。

適当に「ありがとうございます」と言った。

お兄さんが行った後、なんとなく荷物置き場を
見たら、小さい封筒があった。明日に出すと間に合わない大事な荷物をお兄さんが見落として帰っちゃった。

だから、うちが夜の予定を全部つぶして、近くの運送会社まで自分で運んだ。

 すっごくすっごくイライラした。
「は?なんで忘れんの?確認してよ。」
「最悪。予定あったのに。なんなん」
イライラしながら運転したから、危なかった。

 がしかし、イライラしながら、お兄さんの顔を
思い出そうとしたら、思い出せないことに気が付いた。毎日来てるのに。

ありがとうとは言っているのに。

 考えたら、顔を見ていない。目を見てない。「ありがとう」って気持ちがあれば、
お兄さんが封筒を忘れたことにその場で気付いたはず。「忘れてますよ」って言えたはず。

 毎日、毎日、お客さんにニコニコニコニコしてるくせに。目を見て、顔を見て、一生懸命お話してるのに。

 いつの間にか、うちは「人」を選んでたのじゃないか。自分に利益がありそうな人にしか、お礼も言ってなかったんじゃないか。

 というか、運送屋さんが運んでくれるから、製品は必要としてる人のもとに初めて届くのに。

本当に本当にやなやつだ。

こんなやつは、自分が一番嫌いだし、
そういう態度が今の状況を招いたんだと思った

明日から、ありがとうと言う時は、
本当に「ありがとう」を言おう。
口だけじゃなくて、態度で表そう。

 そう思って、最近は納品とか、運送屋さんが会社に来てくれたら、顔をあげて、目を見ることにした。

 「ありがとうございます」って言ったら、
「どうも!」って声が返ってきてたことに
初めて気が付いた。嬉しくなった。

 最近、自分のこと、ずっと嫌いだと思って
たけど、どこが嫌いだったのか、
自分はどうしたかったのかに気付いた。

 だから封筒忘れてくれて、ありがとう。と
ちょっと思った。荷物も間に合って良かった。

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ちょっと寄り道。

出張の帰りに釜ヶ崎(西成)に寄ってきた。

 

動物園前の駅で降りて歩いてたら、
お酒が入ってる赤い顔したおじさんに、
「お姉ちゃん、めっちゃきれいやー」
と言われた。

 

酔っ払いの言葉をまともに受けたらあかん、
って言うけれど、きれいなんて、
久しく言われてないから、

それでも嬉しかった。

 

その5分後、きれいって言われたー!うれしい!って思いながら歩いてたら、前から来た、
顔が赤くないおじさんとぶつかりそうになる。

 

「だ!だ!」と怒られた。
やっぱり、ちょっとお酒が入ってないと、
私はかわいく見えないみたいだ。
(ふらふら歩いてごめんなさい)

 

ココルームで自転車を借りて、
暁光会(大学の時、住み込みで古紙分別をさせてもらっていたところ、ジブリに出てきそうなところ)まで自転車を漕ぐ。

 

ここは、商店街が長いから、それに、危ないとか関係なく、商店街は酔っ払いのじくざく運転と、歩く人が入り乱れているから、私も思いっきり自転車を漕ぐ。

 

この商店街で、自転車に乗ると、
すいすーいと、商店街を泳いでる気分になる。

 

スーツで、自転車を漕いで、すいすい泳ぐ。
途中でサドルが高くて、パンプスだと危ないなと思って止まったら、近くにいたおじさんが、錆びてなかなか動かないサドルを下げてくれた。

 

ありがとうを伝えて、夕方で飲み屋の提灯に光が付き始めた商店街をまた泳ぐ。

 

暁光会に着くと、だいちゃんがいる。
「あ!名前思い出せないけど、顔わかる!話していき!森下さんいるから」
って言われて、森下さんと、沢山沢山話す。
色々と話を聞いてもらった。

 

話せる人がいること、ここに行けば、あの人がいる。って場所があるのはいいことだなあ。と思う。いつか、私も定住して、そんな風に、「あそこに行けば、みずきがいる。行こう」ってなんとなく頭の片隅で思ってもらえる人になりたいな。

 

森下さんに、新しく出会った人達が発する言葉とか、物の見方になかなか慣れないこととか、取り繕う自分がいやなこととか、色々話した。

いろんな見方があるけど、1つじゃなくて、そこから広がる世界を沢山見れたらいいね、って。釜ヶ崎も1つのイメージからは想像出来ない世界が広がってるよね。って。どれかが間違ってる訳ではなくて、そこをいろんな方向から、深く見ようと、出来たらいいなって。色々と話の中で、見えたことがある。

 

色々と話を聞いてもらい、笑って、
また会いに行きます、と伝えて暁光会を出る。

暗くなった道を、ぱっと明るい商店街を泳ぐ。

空気がぬるくて、甘くて、とろっとしていて
気持ちいい。

 

横浜とか名古屋から、関西に戻ると、
「ああ、この空気やな」と思う。


関西に戻る気はないけれど、死にたいのは
ここかなあ、とふっと思う。

 

空気がちょっと出汁の匂いがする気がする。
また、今度いつ来るか分かんないから、
釜ヶ崎の空気を吸っておこうとおもって、
自転車で商店街をするする泳ぎながら、
息を大きく吸い込んだ。


うちの隣にいたのは、少し体が臭い人だった。

だからその人の匂いも沢山、沢山吸い込んだ。
うちの鼻の中にその人も一緒に入ってきた。
おおおおー、と思ったけど、もう遅い。

ちょっとというか、結構後悔したけど、
まあいいか。って感じで今から帰る。

 

いまは電車の中。臭い人はいない。
でも吸い込みたい空気はここにはないなあ。

 

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「夏だなあ」って何度も言いました。良い顔と私。

 

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8月最後の週末が終わった。沖縄石垣島鳩間島・富士山登山・東京花火大会・戸塚を懐かしみ、戸塚のコンビニでUFOを食べる夜・フィリピン・岐阜県郡上八幡岩手県大槌町吉里吉里・キャンプ

 この2ヶ月は、ひたすら金曜の夜になると、旅に出た。へろへろになったけど、いま会いたい人がいた。特に買い物をした訳じゃないのに、私をどこかに運んだが為に、クレジットカードが使えなくなった。

 コンクリート新築マンションを出て、
夏の自然に入らせてもらった。
良い顔をした人に沢山合わせてもらった。

 富士山で星を見た。頭についたライトと空に浮かぶ星の区別がつかなかった。私の身体を風と雲がすり抜けた。雲よりも高い位置から、人が沢山死ぬ樹海を見た。樹海の緑は濃くて、上から見るともふもふしているように見えた。なんで、トゲトゲは集合すると、もふもふに見えるんだろう。樹海に上から飛び込みたかった。飛び込んだら、死ぬんだけれど。樹海の中にいる人も上からもふもふの樹海を見る時間があればよかったのに。あったのかなあ。

  

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沖縄の鳩間島で魚と珊瑚に囲まれた。口にはシュノーケル。魚がすいすいと泳いでいても、私の裸眼では魚は見えない。自分の目で自然を見たい。自分の目だけど、ゴーグルを通さないと見えない。目に水が触れると目が痛い。口に管をつけないと、息ができない。海は美しい。そこにいれて楽しい。でも、そこは私の世界じゃない。いろんな道具を使って、海の世界に「お邪魔させてもらう」それがおかしかった。うちは魚でも、珊瑚でもない。別に自然は私を歓迎していない。強引にいれてもらった海は、好きな友達と一瞬に見た景色は美しかった。

 

フィリピンでジンベイザメと泳いだ。滝を見た。だけど、ここは帰国後の体調不良が強烈だったため、あまり覚えていない。(帰国後、すぐに意識が朦朧とする中で三浦春馬の舞台を見た。三浦春馬の一瞬の上裸しか覚えていない。お肌が白かった。)

 

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 郡上八幡に踊りに行った。でもあんまり踊っていない。「水はどこから流れてくるのか」滝を歩いて見に行った。我慢できなくて水に浸かる。水は冷たくて、最近ハマっているプールエアロビの水温とは全然違う。「もっとあったければいいのに」「もっと気持ちよく泳げるのに」「冷たすぎるわ」すぐ文句が頭に浮かぶ。そう思ってから、ふと「ああ、これは私に泳がれる為に流れている川じゃないんだ」と思う。私は人間様だから、人間様の思い通りに全部、全部なるんだ。と思ってることに気づく。普段、そんなものに囲まれて生きていることに気づく。別に川は私がいなくても、そこに在るんだろう。寒くなって、川から上がって、昼寝をする。夜が暗くなる。そして踊る。水が冷たいから、いい頃に川から上がる。寝て体温が上がる。とても良いリズムの中にいるなあと思う。

 

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吉里吉里の夏祭り。往復20時間、滞在時間21時間。江戸時代から続く郷土芸能。夜の神社に芸能団体が集まって、獅子が甚句が、虎が舞う。神様がそこにいる。歴史が私の前に存在していて、自分がどこにいるのか分からなくなる。友達の目が潤んでいて、私の目も潤んでいるから、二重で友達の顔も、目の前の舞も、よく見えない。お祭りの最中、3年前とは風景が変わった町を歩く。途中で休憩すると、90歳と80歳の人がいる。魅力的な味のある顔。

 

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「おじいさん」と呼ぶのをためらう元気な2人は、60.70も年下の私と「ガハハ」と笑う。大きくて、古い木が沢山の若葉をつけてるような。うちも元気なしわしわになりたいと思う。

 郡上でも吉里吉里でも、お祭りの話、仕事の話を聞く。どうして、出会う人、出会う人は、自分の生きる地域の話を、仕事の話を、こんなに良い顔をして話するんだろう。なんで、そんな顔をして、そこにいるんだろう。私はこんなに良い顔をして話すこと持ってるんだろうか。といつも思う。だから、ちょっと聞きたくない。でも、いつもすごくすごく聞きたくなる。今まで出会った人たちは良く、「色々あったから」「ここにいるしかなかったり」「やりたいことは他にもあった」とか言う。でも、自分の場所で他の人と関わりながら、良い顔をして、よく生きているように見える。まだ出会ったばかり。そんなこと、うちには言えないんだと思う。でも、顔が良い。ちょっと会っただけでも、顔が良い。顔が良い。顔が良い人にすごくすごく憧れる。

 私は失礼な奴だから、もしかすると、せっかく人が伝えてくれた言葉を忘れてしまうかもしれない。でも、人の良い顔を、その顔が纏う空気感を、忘れない気がする。

 

会社の周りをてくてく歩く。う◯こと私。

7月28日の朝。

会社まで私はテクテク歩く。

近所の億ションを通り過ぎる。

 

億ションにピカピカに光るクラウンが来た。

クラウンに座るおばさんは、鼻くそを

ほじほじして、ハンドルにつけた。

 

最近、会った、車のデザイナーさん(イカしたおじさん)を思い出す。

 

高級感を醸し出す、何年も何年も試行錯誤をして作られた、あのハンドルは、使うひとの鼻くそで更にオンリーワンになるのですね。

 

鼻くそは、その人の体から出たものだから、車とその人は「鼻くそ」という架け橋によって、更に一体感を増すのかもしれない。ただの高い車だと、自分と釣り合わない気がしたりしそう。鼻くそが結ぶ「人」と「車」

 

うちも、もし将来高い車を買ったら、

鼻くそをつけようとおもう。

 

更にテクテク歩く。

会社に到着したら、犬とおばさんがいた。

会社に入り、掃除をしようと外に出る。

 

犬とおばさんはいない。

会社の玄関の斜め前にうんちがいた。

うんちには、ヨモギが乗っている。

 

「会社の前にうんちがあるとかウケるw」

「運気が上がるわ。」

 

ってそのまま置いておいた。

 

お昼休みに会社の先輩がうんちを踏んだ。

それをうちは見ていた。

先輩はがんばって、足を道に擦り付けた。

うんちは道に広がり、うんち勢力は拡大した。それを見て、私はうんちを応援した。

 

夕方6時。

うんちを踏んだ先輩は体調不良で早退した。

最近、先輩は働きすぎで、顔色が悪かった。

うんちを踏んだことにより、気分がより下がったのだろう。

先輩はもっと休めばいいと思う。

 

「でかした、うんち君。」

「君は先輩を休ませることに一役買ったぞ」

 

私は内心うんちを褒めた。

そして更にうんちを放置しておいた。

時々窓からうんちを見たり外回りに行く時、

うんちの上のヨモギを数えたりした。

 

あの飼い主は、よもぎを持っていたのだろうか?どこかから摘んできたのだろうか。

 

夜8時。

また違う先輩が、1人でうんちを流していた。手伝おうとしたけど、

 

「もう流れるから大丈夫だよ。先に帰っていいよ。」と言われた。

 

1人で、夜な夜なうんちを流すなんて、

素敵人間すぎる。

 

多分というか、普通というか、絶対、

 

迷惑しかかけていない新入社員であり、

うんちの第一発見者である私

 

が、うんちを流すべきだったんだろう。  

 

うちは、仕事が出来ない+うんちも流さない人間になってしまった。それは大変だ。

 

がしかし、今日1日、うんちを観察できて

楽しかった。

 

うんちを踏んだ先輩が明日

元気に会社に来れればいいな。

 

ありがとうを他の人に伝えること 岩手県大槌町での出会いから

3日間、岩手県大槌町吉里吉里地区に行ってきました。大学1〜3年の頃は震災支援ボランティアで毎月通った場所。2年半ぶりでした。

 
盛り土が始まり、新しい道、復興住宅が出来ました。町の様子は変わりました。
 
私が吉里吉里行くと毎回、ごはんを作ってくれて、電話、お手紙のやり取りを続けているおばあちゃんがいます。2年半ぶりに出会っても、相変わらずにキレッキレの頭で沢山話してくれました。
 
このおばあちゃんとの出会いは、2011年7月。 昨日のことのように思い出します。自分で参加したくて参加したボランティアなのに、疲れて、目の前の現実が精神的にもつらかった。大学生ボランティアとして、にこにこするのも、だんだん疲れてきた。でも、被災された人を、ガレキを目の前にそんなこと言えなかった。もう次からは来るのは難しいな。って弱気になった。そんな疲れて汗ダラダラの私を前に、「お茶っこさ、飲んでけ!」って言ってくれた時、「いや、でも仮設住宅とか、私なんかがのこのこ入っちゃだめなところ」って躊躇した。でも、おばあちゃんには、私のことは、たぶん、ボランティア云々の前に、「孫ぐらいの学生」としか映ってなかったと思う。
 
半強制的に私を仮設住宅に入れて、冷やしたおしぼりや、お漬物を出してくれた。震災の話、避難所生活、吉里吉里の豊かな森と海の恵み、美味しい食べ物の話。初めて来た吉里吉里は「被災地」のイメージしかなかった。そこにおばあちゃんとの話で、私が知らなかった吉里吉里に、沢山の色がついた。
 
初対面の私は困惑した。
「なんで親切にしてくれるんですか?」
って聞いた時に返ってきたのは、
「私には関東に孫がいっから」
 
自分の孫が自分の知らない土地で誰かに世話をされたり、迷惑をかけたりしている。その人に直接、「ありがとう」は言えないから、自分が出会った人に、「ありがとう」の心で接する。人はどこかで繋がるかもしれないから。
 
この言葉を聞いて思ったのは、「人に優しくしろ」だけではない。「人に迷惑をかけることもある。でも、その分、誰かに親切にしろ」ってこと。これなら、自分自身も出来ると思った。私はすごく抜けていて、頑固なこともあって、迷惑をかけることも沢山ある。でも、だからこそ、目の前にいる人には誠実でありたいな、っ気持ちを淳子さんの写真を見るたびに、定期的に今でも思い出すようにしてる。今目の前にいる人に正直でありたいなあ、って。「ありがとう」「ごめんなさい」は、もしかすると本人には伝えられないかもしれない。なら、今目の前にいる人に、私の身の丈で、出来ること、すべきことをしたい。おばあちゃんに会ってからは、いらいらすることもちょっと我慢出来るようになったし、人に親切にしたい、って思えるようになった。
 
でも、私とおばあちゃんの「ありがとう」返しには大きな違いがある。おばあちゃんは、自分の娘や孫、大切な人が受けた「ありがとう」を想像して、大切な人のために、目の前の人に「ありがとう」を返す。私には、そんなに大切に思える人はまだいない。いつかそんな風に思える人が沢山出来たらいいなあ。って今は思う。
 
前は毎月のように会っていたのに、2年ぶりに再会した今日。机の上には、お酒につけた柿、干してあぶったイカ、きゅうりの浅漬け、魚のつみれ汁。1つ1つの食べ物に誰かが育てて、淳子さんが手を加えたストーリーがあって、それを聞いて、お互いの近況報告をしたら、あっという間に3時間が経つ。淳子さんの手料理を通して知った吉里吉里の歴史や文化が沢山ある。料理は、めっちゃくちゃな高級料理ではない。でも、とっても美味しい。こんな美味しいものを私も将来作りたい。自分の身の丈で、いまあるものに工夫をした方法で、美味しいものを作りたい。あんなに沢山のお話しが出来るおばあちゃんになりたい。
 
最後、別れる時に、一言、
 
「あんたのいいとこは素直なところだから。大丈夫だから春からも頑張りなさい」
 
すっごく嬉しかった。
淳子さんに学んだことは忘れないし、うちにもいいとこがあるって言ってくれた。
春から、というか、今からがんばろう。
 
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