イギリス ケンブリッジで生活してみた!の記録🇬🇧

夫の海外留学に伴い、2023年7月末よりイギリスケンブリッジに越してきました。日々のあれこれを記録します。

「夏だなあ」って何度も言いました。良い顔と私。

 

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8月最後の週末が終わった。沖縄石垣島鳩間島・富士山登山・東京花火大会・戸塚を懐かしみ、戸塚のコンビニでUFOを食べる夜・フィリピン・岐阜県郡上八幡岩手県大槌町吉里吉里・キャンプ

 この2ヶ月は、ひたすら金曜の夜になると、旅に出た。へろへろになったけど、いま会いたい人がいた。特に買い物をした訳じゃないのに、私をどこかに運んだが為に、クレジットカードが使えなくなった。

 コンクリート新築マンションを出て、
夏の自然に入らせてもらった。
良い顔をした人に沢山合わせてもらった。

 富士山で星を見た。頭についたライトと空に浮かぶ星の区別がつかなかった。私の身体を風と雲がすり抜けた。雲よりも高い位置から、人が沢山死ぬ樹海を見た。樹海の緑は濃くて、上から見るともふもふしているように見えた。なんで、トゲトゲは集合すると、もふもふに見えるんだろう。樹海に上から飛び込みたかった。飛び込んだら、死ぬんだけれど。樹海の中にいる人も上からもふもふの樹海を見る時間があればよかったのに。あったのかなあ。

  

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沖縄の鳩間島で魚と珊瑚に囲まれた。口にはシュノーケル。魚がすいすいと泳いでいても、私の裸眼では魚は見えない。自分の目で自然を見たい。自分の目だけど、ゴーグルを通さないと見えない。目に水が触れると目が痛い。口に管をつけないと、息ができない。海は美しい。そこにいれて楽しい。でも、そこは私の世界じゃない。いろんな道具を使って、海の世界に「お邪魔させてもらう」それがおかしかった。うちは魚でも、珊瑚でもない。別に自然は私を歓迎していない。強引にいれてもらった海は、好きな友達と一瞬に見た景色は美しかった。

 

フィリピンでジンベイザメと泳いだ。滝を見た。だけど、ここは帰国後の体調不良が強烈だったため、あまり覚えていない。(帰国後、すぐに意識が朦朧とする中で三浦春馬の舞台を見た。三浦春馬の一瞬の上裸しか覚えていない。お肌が白かった。)

 

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 郡上八幡に踊りに行った。でもあんまり踊っていない。「水はどこから流れてくるのか」滝を歩いて見に行った。我慢できなくて水に浸かる。水は冷たくて、最近ハマっているプールエアロビの水温とは全然違う。「もっとあったければいいのに」「もっと気持ちよく泳げるのに」「冷たすぎるわ」すぐ文句が頭に浮かぶ。そう思ってから、ふと「ああ、これは私に泳がれる為に流れている川じゃないんだ」と思う。私は人間様だから、人間様の思い通りに全部、全部なるんだ。と思ってることに気づく。普段、そんなものに囲まれて生きていることに気づく。別に川は私がいなくても、そこに在るんだろう。寒くなって、川から上がって、昼寝をする。夜が暗くなる。そして踊る。水が冷たいから、いい頃に川から上がる。寝て体温が上がる。とても良いリズムの中にいるなあと思う。

 

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吉里吉里の夏祭り。往復20時間、滞在時間21時間。江戸時代から続く郷土芸能。夜の神社に芸能団体が集まって、獅子が甚句が、虎が舞う。神様がそこにいる。歴史が私の前に存在していて、自分がどこにいるのか分からなくなる。友達の目が潤んでいて、私の目も潤んでいるから、二重で友達の顔も、目の前の舞も、よく見えない。お祭りの最中、3年前とは風景が変わった町を歩く。途中で休憩すると、90歳と80歳の人がいる。魅力的な味のある顔。

 

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「おじいさん」と呼ぶのをためらう元気な2人は、60.70も年下の私と「ガハハ」と笑う。大きくて、古い木が沢山の若葉をつけてるような。うちも元気なしわしわになりたいと思う。

 郡上でも吉里吉里でも、お祭りの話、仕事の話を聞く。どうして、出会う人、出会う人は、自分の生きる地域の話を、仕事の話を、こんなに良い顔をして話するんだろう。なんで、そんな顔をして、そこにいるんだろう。私はこんなに良い顔をして話すこと持ってるんだろうか。といつも思う。だから、ちょっと聞きたくない。でも、いつもすごくすごく聞きたくなる。今まで出会った人たちは良く、「色々あったから」「ここにいるしかなかったり」「やりたいことは他にもあった」とか言う。でも、自分の場所で他の人と関わりながら、良い顔をして、よく生きているように見える。まだ出会ったばかり。そんなこと、うちには言えないんだと思う。でも、顔が良い。ちょっと会っただけでも、顔が良い。顔が良い。顔が良い人にすごくすごく憧れる。

 私は失礼な奴だから、もしかすると、せっかく人が伝えてくれた言葉を忘れてしまうかもしれない。でも、人の良い顔を、その顔が纏う空気感を、忘れない気がする。

 

会社の周りをてくてく歩く。う◯こと私。

7月28日の朝。

会社まで私はテクテク歩く。

近所の億ションを通り過ぎる。

 

億ションにピカピカに光るクラウンが来た。

クラウンに座るおばさんは、鼻くそを

ほじほじして、ハンドルにつけた。

 

最近、会った、車のデザイナーさん(イカしたおじさん)を思い出す。

 

高級感を醸し出す、何年も何年も試行錯誤をして作られた、あのハンドルは、使うひとの鼻くそで更にオンリーワンになるのですね。

 

鼻くそは、その人の体から出たものだから、車とその人は「鼻くそ」という架け橋によって、更に一体感を増すのかもしれない。ただの高い車だと、自分と釣り合わない気がしたりしそう。鼻くそが結ぶ「人」と「車」

 

うちも、もし将来高い車を買ったら、

鼻くそをつけようとおもう。

 

更にテクテク歩く。

会社に到着したら、犬とおばさんがいた。

会社に入り、掃除をしようと外に出る。

 

犬とおばさんはいない。

会社の玄関の斜め前にうんちがいた。

うんちには、ヨモギが乗っている。

 

「会社の前にうんちがあるとかウケるw」

「運気が上がるわ。」

 

ってそのまま置いておいた。

 

お昼休みに会社の先輩がうんちを踏んだ。

それをうちは見ていた。

先輩はがんばって、足を道に擦り付けた。

うんちは道に広がり、うんち勢力は拡大した。それを見て、私はうんちを応援した。

 

夕方6時。

うんちを踏んだ先輩は体調不良で早退した。

最近、先輩は働きすぎで、顔色が悪かった。

うんちを踏んだことにより、気分がより下がったのだろう。

先輩はもっと休めばいいと思う。

 

「でかした、うんち君。」

「君は先輩を休ませることに一役買ったぞ」

 

私は内心うんちを褒めた。

そして更にうんちを放置しておいた。

時々窓からうんちを見たり外回りに行く時、

うんちの上のヨモギを数えたりした。

 

あの飼い主は、よもぎを持っていたのだろうか?どこかから摘んできたのだろうか。

 

夜8時。

また違う先輩が、1人でうんちを流していた。手伝おうとしたけど、

 

「もう流れるから大丈夫だよ。先に帰っていいよ。」と言われた。

 

1人で、夜な夜なうんちを流すなんて、

素敵人間すぎる。

 

多分というか、普通というか、絶対、

 

迷惑しかかけていない新入社員であり、

うんちの第一発見者である私

 

が、うんちを流すべきだったんだろう。  

 

うちは、仕事が出来ない+うんちも流さない人間になってしまった。それは大変だ。

 

がしかし、今日1日、うんちを観察できて

楽しかった。

 

うんちを踏んだ先輩が明日

元気に会社に来れればいいな。

 

ありがとうを他の人に伝えること 岩手県大槌町での出会いから

3日間、岩手県大槌町吉里吉里地区に行ってきました。大学1〜3年の頃は震災支援ボランティアで毎月通った場所。2年半ぶりでした。

 
盛り土が始まり、新しい道、復興住宅が出来ました。町の様子は変わりました。
 
私が吉里吉里行くと毎回、ごはんを作ってくれて、電話、お手紙のやり取りを続けているおばあちゃんがいます。2年半ぶりに出会っても、相変わらずにキレッキレの頭で沢山話してくれました。
 
このおばあちゃんとの出会いは、2011年7月。 昨日のことのように思い出します。自分で参加したくて参加したボランティアなのに、疲れて、目の前の現実が精神的にもつらかった。大学生ボランティアとして、にこにこするのも、だんだん疲れてきた。でも、被災された人を、ガレキを目の前にそんなこと言えなかった。もう次からは来るのは難しいな。って弱気になった。そんな疲れて汗ダラダラの私を前に、「お茶っこさ、飲んでけ!」って言ってくれた時、「いや、でも仮設住宅とか、私なんかがのこのこ入っちゃだめなところ」って躊躇した。でも、おばあちゃんには、私のことは、たぶん、ボランティア云々の前に、「孫ぐらいの学生」としか映ってなかったと思う。
 
半強制的に私を仮設住宅に入れて、冷やしたおしぼりや、お漬物を出してくれた。震災の話、避難所生活、吉里吉里の豊かな森と海の恵み、美味しい食べ物の話。初めて来た吉里吉里は「被災地」のイメージしかなかった。そこにおばあちゃんとの話で、私が知らなかった吉里吉里に、沢山の色がついた。
 
初対面の私は困惑した。
「なんで親切にしてくれるんですか?」
って聞いた時に返ってきたのは、
「私には関東に孫がいっから」
 
自分の孫が自分の知らない土地で誰かに世話をされたり、迷惑をかけたりしている。その人に直接、「ありがとう」は言えないから、自分が出会った人に、「ありがとう」の心で接する。人はどこかで繋がるかもしれないから。
 
この言葉を聞いて思ったのは、「人に優しくしろ」だけではない。「人に迷惑をかけることもある。でも、その分、誰かに親切にしろ」ってこと。これなら、自分自身も出来ると思った。私はすごく抜けていて、頑固なこともあって、迷惑をかけることも沢山ある。でも、だからこそ、目の前にいる人には誠実でありたいな、っ気持ちを淳子さんの写真を見るたびに、定期的に今でも思い出すようにしてる。今目の前にいる人に正直でありたいなあ、って。「ありがとう」「ごめんなさい」は、もしかすると本人には伝えられないかもしれない。なら、今目の前にいる人に、私の身の丈で、出来ること、すべきことをしたい。おばあちゃんに会ってからは、いらいらすることもちょっと我慢出来るようになったし、人に親切にしたい、って思えるようになった。
 
でも、私とおばあちゃんの「ありがとう」返しには大きな違いがある。おばあちゃんは、自分の娘や孫、大切な人が受けた「ありがとう」を想像して、大切な人のために、目の前の人に「ありがとう」を返す。私には、そんなに大切に思える人はまだいない。いつかそんな風に思える人が沢山出来たらいいなあ。って今は思う。
 
前は毎月のように会っていたのに、2年ぶりに再会した今日。机の上には、お酒につけた柿、干してあぶったイカ、きゅうりの浅漬け、魚のつみれ汁。1つ1つの食べ物に誰かが育てて、淳子さんが手を加えたストーリーがあって、それを聞いて、お互いの近況報告をしたら、あっという間に3時間が経つ。淳子さんの手料理を通して知った吉里吉里の歴史や文化が沢山ある。料理は、めっちゃくちゃな高級料理ではない。でも、とっても美味しい。こんな美味しいものを私も将来作りたい。自分の身の丈で、いまあるものに工夫をした方法で、美味しいものを作りたい。あんなに沢山のお話しが出来るおばあちゃんになりたい。
 
最後、別れる時に、一言、
 
「あんたのいいとこは素直なところだから。大丈夫だから春からも頑張りなさい」
 
すっごく嬉しかった。
淳子さんに学んだことは忘れないし、うちにもいいとこがあるって言ってくれた。
春から、というか、今からがんばろう。
 
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