「夏だなあ」って何度も言いました。良い顔と私。

 

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8月最後の週末が終わった。沖縄石垣島鳩間島・富士山登山・東京花火大会・戸塚を懐かしみ、戸塚のコンビニでUFOを食べる夜・フィリピン・岐阜県郡上八幡岩手県大槌町吉里吉里・キャンプ

 この2ヶ月は、ひたすら金曜の夜になると、旅に出た。へろへろになったけど、いま会いたい人がいた。特に買い物をした訳じゃないのに、私をどこかに運んだが為に、クレジットカードが使えなくなった。

 コンクリート新築マンションを出て、
夏の自然に入らせてもらった。
良い顔をした人に沢山合わせてもらった。

 富士山で星を見た。頭についたライトと空に浮かぶ星の区別がつかなかった。私の身体を風と雲がすり抜けた。雲よりも高い位置から、人が沢山死ぬ樹海を見た。樹海の緑は濃くて、上から見るともふもふしているように見えた。なんで、トゲトゲは集合すると、もふもふに見えるんだろう。樹海に上から飛び込みたかった。飛び込んだら、死ぬんだけれど。樹海の中にいる人も上からもふもふの樹海を見る時間があればよかったのに。あったのかなあ。

  

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沖縄の鳩間島で魚と珊瑚に囲まれた。口にはシュノーケル。魚がすいすいと泳いでいても、私の裸眼では魚は見えない。自分の目で自然を見たい。自分の目だけど、ゴーグルを通さないと見えない。目に水が触れると目が痛い。口に管をつけないと、息ができない。海は美しい。そこにいれて楽しい。でも、そこは私の世界じゃない。いろんな道具を使って、海の世界に「お邪魔させてもらう」それがおかしかった。うちは魚でも、珊瑚でもない。別に自然は私を歓迎していない。強引にいれてもらった海は、好きな友達と一瞬に見た景色は美しかった。

 

フィリピンでジンベイザメと泳いだ。滝を見た。だけど、ここは帰国後の体調不良が強烈だったため、あまり覚えていない。(帰国後、すぐに意識が朦朧とする中で三浦春馬の舞台を見た。三浦春馬の一瞬の上裸しか覚えていない。お肌が白かった。)

 

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 郡上八幡に踊りに行った。でもあんまり踊っていない。「水はどこから流れてくるのか」滝を歩いて見に行った。我慢できなくて水に浸かる。水は冷たくて、最近ハマっているプールエアロビの水温とは全然違う。「もっとあったければいいのに」「もっと気持ちよく泳げるのに」「冷たすぎるわ」すぐ文句が頭に浮かぶ。そう思ってから、ふと「ああ、これは私に泳がれる為に流れている川じゃないんだ」と思う。私は人間様だから、人間様の思い通りに全部、全部なるんだ。と思ってることに気づく。普段、そんなものに囲まれて生きていることに気づく。別に川は私がいなくても、そこに在るんだろう。寒くなって、川から上がって、昼寝をする。夜が暗くなる。そして踊る。水が冷たいから、いい頃に川から上がる。寝て体温が上がる。とても良いリズムの中にいるなあと思う。

 

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吉里吉里の夏祭り。往復20時間、滞在時間21時間。江戸時代から続く郷土芸能。夜の神社に芸能団体が集まって、獅子が甚句が、虎が舞う。神様がそこにいる。歴史が私の前に存在していて、自分がどこにいるのか分からなくなる。友達の目が潤んでいて、私の目も潤んでいるから、二重で友達の顔も、目の前の舞も、よく見えない。お祭りの最中、3年前とは風景が変わった町を歩く。途中で休憩すると、90歳と80歳の人がいる。魅力的な味のある顔。

 

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「おじいさん」と呼ぶのをためらう元気な2人は、60.70も年下の私と「ガハハ」と笑う。大きくて、古い木が沢山の若葉をつけてるような。うちも元気なしわしわになりたいと思う。

 郡上でも吉里吉里でも、お祭りの話、仕事の話を聞く。どうして、出会う人、出会う人は、自分の生きる地域の話を、仕事の話を、こんなに良い顔をして話するんだろう。なんで、そんな顔をして、そこにいるんだろう。私はこんなに良い顔をして話すこと持ってるんだろうか。といつも思う。だから、ちょっと聞きたくない。でも、いつもすごくすごく聞きたくなる。今まで出会った人たちは良く、「色々あったから」「ここにいるしかなかったり」「やりたいことは他にもあった」とか言う。でも、自分の場所で他の人と関わりながら、良い顔をして、よく生きているように見える。まだ出会ったばかり。そんなこと、うちには言えないんだと思う。でも、顔が良い。ちょっと会っただけでも、顔が良い。顔が良い。顔が良い人にすごくすごく憧れる。

 私は失礼な奴だから、もしかすると、せっかく人が伝えてくれた言葉を忘れてしまうかもしれない。でも、人の良い顔を、その顔が纏う空気感を、忘れない気がする。

 

会社の周りをてくてく歩く。う◯こと私。

7月28日の朝。

会社まで私はテクテク歩く。

近所の億ションを通り過ぎる。

 

億ションにピカピカに光るクラウンが来た。

クラウンに座るおばさんは、鼻くそを

ほじほじして、ハンドルにつけた。

 

最近、会った、車のデザイナーさん(イカしたおじさん)を思い出す。

 

高級感を醸し出す、何年も何年も試行錯誤をして作られた、あのハンドルは、使うひとの鼻くそで更にオンリーワンになるのですね。

 

鼻くそは、その人の体から出たものだから、車とその人は「鼻くそ」という架け橋によって、更に一体感を増すのかもしれない。ただの高い車だと、自分と釣り合わない気がしたりしそう。鼻くそが結ぶ「人」と「車」

 

うちも、もし将来高い車を買ったら、

鼻くそをつけようとおもう。

 

更にテクテク歩く。

会社に到着したら、犬とおばさんがいた。

会社に入り、掃除をしようと外に出る。

 

犬とおばさんはいない。

会社の玄関の斜め前にうんちがいた。

うんちには、ヨモギが乗っている。

 

「会社の前にうんちがあるとかウケるw」

「運気が上がるわ。」

 

ってそのまま置いておいた。

 

お昼休みに会社の先輩がうんちを踏んだ。

それをうちは見ていた。

先輩はがんばって、足を道に擦り付けた。

うんちは道に広がり、うんち勢力は拡大した。それを見て、私はうんちを応援した。

 

夕方6時。

うんちを踏んだ先輩は体調不良で早退した。

最近、先輩は働きすぎで、顔色が悪かった。

うんちを踏んだことにより、気分がより下がったのだろう。

先輩はもっと休めばいいと思う。

 

「でかした、うんち君。」

「君は先輩を休ませることに一役買ったぞ」

 

私は内心うんちを褒めた。

そして更にうんちを放置しておいた。

時々窓からうんちを見たり外回りに行く時、

うんちの上のヨモギを数えたりした。

 

あの飼い主は、よもぎを持っていたのだろうか?どこかから摘んできたのだろうか。

 

夜8時。

また違う先輩が、1人でうんちを流していた。手伝おうとしたけど、

 

「もう流れるから大丈夫だよ。先に帰っていいよ。」と言われた。

 

1人で、夜な夜なうんちを流すなんて、

素敵人間すぎる。

 

多分というか、普通というか、絶対、

 

迷惑しかかけていない新入社員であり、

うんちの第一発見者である私

 

が、うんちを流すべきだったんだろう。  

 

うちは、仕事が出来ない+うんちも流さない人間になってしまった。それは大変だ。

 

がしかし、今日1日、うんちを観察できて

楽しかった。

 

うんちを踏んだ先輩が明日

元気に会社に来れればいいな。

 

ありがとうを他の人に伝えること 岩手県大槌町での出会いから

3日間、岩手県大槌町吉里吉里地区に行ってきました。大学1〜3年の頃は震災支援ボランティアで毎月通った場所。2年半ぶりでした。

 
盛り土が始まり、新しい道、復興住宅が出来ました。町の様子は変わりました。
 
私が吉里吉里行くと毎回、ごはんを作ってくれて、電話、お手紙のやり取りを続けているおばあちゃんがいます。2年半ぶりに出会っても、相変わらずにキレッキレの頭で沢山話してくれました。
 
このおばあちゃんとの出会いは、2011年7月。 昨日のことのように思い出します。自分で参加したくて参加したボランティアなのに、疲れて、目の前の現実が精神的にもつらかった。大学生ボランティアとして、にこにこするのも、だんだん疲れてきた。でも、被災された人を、ガレキを目の前にそんなこと言えなかった。もう次からは来るのは難しいな。って弱気になった。そんな疲れて汗ダラダラの私を前に、「お茶っこさ、飲んでけ!」って言ってくれた時、「いや、でも仮設住宅とか、私なんかがのこのこ入っちゃだめなところ」って躊躇した。でも、おばあちゃんには、私のことは、たぶん、ボランティア云々の前に、「孫ぐらいの学生」としか映ってなかったと思う。
 
半強制的に私を仮設住宅に入れて、冷やしたおしぼりや、お漬物を出してくれた。震災の話、避難所生活、吉里吉里の豊かな森と海の恵み、美味しい食べ物の話。初めて来た吉里吉里は「被災地」のイメージしかなかった。そこにおばあちゃんとの話で、私が知らなかった吉里吉里に、沢山の色がついた。
 
初対面の私は困惑した。
「なんで親切にしてくれるんですか?」
って聞いた時に返ってきたのは、
「私には関東に孫がいっから」
 
自分の孫が自分の知らない土地で誰かに世話をされたり、迷惑をかけたりしている。その人に直接、「ありがとう」は言えないから、自分が出会った人に、「ありがとう」の心で接する。人はどこかで繋がるかもしれないから。
 
この言葉を聞いて思ったのは、「人に優しくしろ」だけではない。「人に迷惑をかけることもある。でも、その分、誰かに親切にしろ」ってこと。これなら、自分自身も出来ると思った。私はすごく抜けていて、頑固なこともあって、迷惑をかけることも沢山ある。でも、だからこそ、目の前にいる人には誠実でありたいな、っ気持ちを淳子さんの写真を見るたびに、定期的に今でも思い出すようにしてる。今目の前にいる人に正直でありたいなあ、って。「ありがとう」「ごめんなさい」は、もしかすると本人には伝えられないかもしれない。なら、今目の前にいる人に、私の身の丈で、出来ること、すべきことをしたい。おばあちゃんに会ってからは、いらいらすることもちょっと我慢出来るようになったし、人に親切にしたい、って思えるようになった。
 
でも、私とおばあちゃんの「ありがとう」返しには大きな違いがある。おばあちゃんは、自分の娘や孫、大切な人が受けた「ありがとう」を想像して、大切な人のために、目の前の人に「ありがとう」を返す。私には、そんなに大切に思える人はまだいない。いつかそんな風に思える人が沢山出来たらいいなあ。って今は思う。
 
前は毎月のように会っていたのに、2年ぶりに再会した今日。机の上には、お酒につけた柿、干してあぶったイカ、きゅうりの浅漬け、魚のつみれ汁。1つ1つの食べ物に誰かが育てて、淳子さんが手を加えたストーリーがあって、それを聞いて、お互いの近況報告をしたら、あっという間に3時間が経つ。淳子さんの手料理を通して知った吉里吉里の歴史や文化が沢山ある。料理は、めっちゃくちゃな高級料理ではない。でも、とっても美味しい。こんな美味しいものを私も将来作りたい。自分の身の丈で、いまあるものに工夫をした方法で、美味しいものを作りたい。あんなに沢山のお話しが出来るおばあちゃんになりたい。
 
最後、別れる時に、一言、
 
「あんたのいいとこは素直なところだから。大丈夫だから春からも頑張りなさい」
 
すっごく嬉しかった。
淳子さんに学んだことは忘れないし、うちにもいいとこがあるって言ってくれた。
春から、というか、今からがんばろう。
 
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アメリカにいた時の日記③

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近況報告 最近の1週間で印象に残ったこと。

こっちに来て3ヶ月ちょっとが経ちました。
英語の勉強と路上生活者支援等をしている巨大教会のことを勉強したくて、こっちに来ましたが、毎日の炊き出しにちょっと疲れて、「あ、そういえば、うちは文章書くのが好きだったなあ〜」と思い出したので、ググったらサンフランシスコの日本の新聞社でインターンを募集してたから、ダメ元で応募しました。面接は「もともとメディアに興味ないんでしょ。英語も話せないし、パソコンも使えないんでしょ?厳しいと思うよ。自分で出来ると思うの?」 私「やってみたら楽しいかな。と思って。しかも。私、できると思います。」って言ったら、「本気で言ってるの;゚Д゚)))?」ってなって、なぜか受かりました。うちの前と次のインターンはUCバークレーの学生らしい。こんな場違いがインターンさせてもらえてることに感謝。感謝。

今は地元のイベント、おすすめレシピをサイトで調べて、日本語に訳して記事にしたり、日本食レストランに取材に行ったりしてます。訳すのは電子辞書使えばなんとかなるし、文章書くのは好きなので、苦じゃないし、しかもプロのライターさんに添削してもらえるから、面白い!

が、もう1つのうちの仕事は広告を新聞に出してもらうために営業電話です。これがやばい。電話もはじめは向こうが何言ってるか全然分かんなくて、途中から自分も何言ってるか分かんなくなって、ぐちゃぐちゃになったり、社員さんに「絶対英語出来ないカスがいる変な会社やと思われてますよ。ごめんなさい」って謝ったり。カンペを作りまくったり。なんやかんやとやってました。
それで今日感動したのは、印刷会社からのまだ入荷が来てない。部数は?とかの電話が聞き取れたことです。はじめてうわわわわわ。と思いました。嬉しかった。そっからうきうきして、電話を色々とかけました。

あと多分一生忘れない気づきは、レストランの取材を頼まれて、記事の提出が決まってたのに、携帯と財布取られたりなんやかんやして、しかも、提出の日にコーヒー飲みたいなあとか思ってまったりしてたら、提出が遅れました。今考えると恐ろしいけど、「私、インターンやし。1人が遅れてもどうってことないやろ。疲れたし。ちょっとコーヒー飲もう〜隣のアメリカ人に話しかけよ〜ふふふ〜」ってそんな感じでした。で、普通に遅れて、「すいません」って顔だけ申し訳なさそうな振りして出したら、「提出遅れるのはだめだよ。君、くびだよ」
って言われました。結局くびにはなんないし、ちょっとだけ反省して、なにげなく校正用に印刷された紙を見ると、うちが書いた記事の部分だけが、当たり前やけど、印刷されてなくて、うちが書いたやつ以外は色々と既にチェックが入ってました。その時、新聞が形になる脅威の速さにびっくりしたのと同時に、「うちの無責任さで、新聞が出来るのと、みなさんの仕事が遅れたわ。こんなに忙しく働いたはんのに、みなさんの時間ムダにしたわ。ただのインターンやけど、うちが書いた記事、新聞の一部やわ。しかもお店側も、お店の利益が上がると思って、記事に期待してくれたはるのに、もし完成度が落ちたら、お店も、会社も沢山の繋がりをぶっ壊すことになる。なんてことしたんだーー!」と思いました。そういえば、大学生活でも、活動でも、提出期限を過ぎても、単位は消えたけど、謝ったら許してもらえることもあって、あんまり気にしてなかったと思います。市川さんとか波多野さんとか友達とかいろんな人に迷惑かけてたな。と思います。申し訳なかったです。本当に期限は守ろうと思いました。

後は語学学校で、ずっとお世話になってる先生に、授業中ぼけ〜としてたら、後から
「君は自分の意見言えるし、やりたいことに対しては自分から動けるし、自分では気がついてないかもしれないけど、かなり気も強い。どこでもやっていけるよ。けど、人の話聞いてないことも多いし、集中できない。注意力がない。周りが見えてないことが多い。君の性格好きだけど、時々ただの幼稚園児にしか見えない。このままじゃ成功しないよ。君と一緒に働きたいとは思えない」って言われました。これ言われた時もまさか先生にこんなこと言われるとは思ってなくて、一瞬時間が止まったけど、全部親とか彼氏とか友達に言われたことと同じやなあ。と思いました。世界のどこに行っても、自分自身がいきなり変身出来ることはなくて、自分のだめなとこはだめで、見る人が見たらすぐに分かるんやなあ。と思いました。
これは自分が注意力が散漫なこと前から分かってるんやから、「ぼけっとしないぞ!」って自分から思うか、「次に何するかちゃんと把握して動く」とか、小さいことから気をつけて、努力するしかないな。

あとは今住んでるところは釜ヶ崎と同じぐらい路上生活の人が沢山いるところで、ベンチに座ってたら、隣にお金くれくれ言ってるひとが座ってきて、お金くれくれ言われたから、その時、めっちゃマズいスナック菓子持ってたから、「お金ないけど、これいりますか?あんまり美味しくないけど」って言って、お菓子あげたら、1つ食べた後に、「いらない」って返された。まずいものは、みんなまずい。当たり前やわ。

英語は全然話せない。今日、日本帰ったら何でこんなに話せたいのか何て言い訳しようかって、カスなこと考えてたけど、それはカスすぎるわ。また明日からも勉強しよう。
書き出すとこの1週間だけでも、反省することが多すぎる。どこに行っても、カスはカスやから、カスから、ちょっとでもマシになれるように反省して、することやろう。

あと昨日、復習してて、○○がないと私の生活は物足りたい的な文章があって、気づいたらAKENUって書いてた。気持ち悪い。アメリカで突如うちのノートに登場したAKENUは何かエイリアンの一種みたいだった。

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アメリカにいた時の日記②

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3日間の印象的な出来事

おとつい(^O^)
ゲイの聖地のカストロのお祭りにお友達に連れて行ってもらって、まさかの10時間もそこにいた。ダンスがセクシーでセクシーで。本当に。
うちも変な踊りを踊りまくる。プリンセスみたいな人も全裸の人もいろんな人がいる。薄っぺらい言葉になるけど、こんな場所があるのかと感動する。が、40年前はゲイバーに窓も付けれないぐらいの差別だったらしい(今も差別はある)始めからこの町があった訳じゃなくて、戦いながら権利を勝ち取ってきた。と話を聞いた。

昨日
真昼間に外歩いてたら(しかも駅前の治安も悪くない普通のところ)でかい人が喧嘩をしていた。まー良くあること。って思ってたら、1人が催涙スプレー出してきて攻撃し始めた。
気づいた時には遅くて、うちもほかの人も催涙スプレー浴びて、うずくまった。催涙スプレーとか知らんし、テロかと思って、(もう目も痛すぎて開けらないし、息苦しいし)今死ぬのか。後悔ありすぎる。ただの金食い虫で、お父さん、お母さんごめん。って思ってたら、優しいアメリカ人達がビルに運んでくれた。目を50回ぐらい洗って、うがいして、20分ぐらいで元に戻った。お医者さんも警察も来て大変だった。
1時間後ぐらいに解放されて、負傷した人同士で、夜ご飯に行くことになった。「いやー、みんな大変だったね〜まあ無事でよかった」的な。コンタクト無くしたから目見えへんし、その考えも意味不明やけど、楽しんだ。友達できた
が、本当にここは何があるか全く分からんと思った。気をつける。

今日
学校終わって、人生初コストコ!そのあとお手伝いさせてもらってる団体の創立者がお話されるということで、 the power of human conectionっていう講演会に行ってきた。が、英語難しかった。
そのあと、お腹すいたなあ〜。でも人と一緒じゃないと外食しないって決めたしなあ。でぐるぐる思いつつ、気づいたら中華街。お店に入ってしまって、せっかくやから話そう!と思って相席にしてもらう。1人で一番安い辛い素麺的なもの食べてたら、一緒に座った中国人3人が自分が食べてる料理を分けてくれた。中国人3人、中国語で話してたのに、英語に変えてくれた。20年前に留学でアメリカ来て今はビジネスしてるって。来た当初は1日15時間ぐらい勉強してたらしい。たくさん話してくれた。最後は残ったご飯も全部タッパに詰めて、持ってかえっていいよ。って。おかげで3品も持って帰れた。
もう、一生中国人大好き。やと思った。
今日会った人たちのこと一生忘れへん。
うちがお金稼いだら、一緒にご飯食べに行きたいし、連絡先も聞いた。

いろんなことがありますな。

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アメリカにいた時の日記①

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近くの大学にもぐった時に見つけた
diversity and social justic certificateの授業に行ってみた。40人ぐらいの授業やったけど、先生に、どうしても聴講したいって頼んだら入れた。

とりあえず、びっくりした。土曜の特別講義やから9時〜16時まであって、もういろんな人が入り混じってて。
今日の内容は女性差別とポスター、映画、音楽から、どんな風に黒人のイメージは作られてるか。(多分)

今まで大学でも、ジェンダー論とかちょっとだけ勉強したことあったけど、
臨場感?緊張感が全然違った。

先生がちょっと話して、そこで誰かが質問して、議論、議論、議論、議論。
自分の体験談、誰かの話に、
「それこそ、差別。」ってなって、
そっからみんな話す話す話す話す話す

泣く人も、めっちゃ怒る人もいた。

色んな人種。多様性があっていいね!
ってそんな風にはいかないんだって
思った。生々しかった。

4.5時間が強烈すぎた。
ほとんど内容分からんかった。
勉強しよ。が、強烈だった。
1回だけ手あげて、めっちゃうすーい意見言えた。けど聞いてくれた。
嬉しかった。

うちは、そこに座って、ぎょぎょ。
としてただけやのに死ぬほど疲れた。

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